お盆が終わった〜
従兄弟と桃鉄。『なんかゲームくれ』というので、
私のニンテンドーDS(あまりにボロすぎる初期型)と従兄弟のニンテンドーDS Lite(限定色のレアものらしい)を交換してくれたら、好きなソフト3本くらい持っていってもいいよ、と交渉したら決裂しました。
Yahoo!の知恵袋だったかしら、“泣ける小説”として紹介されていた
『あの空をおぼえてる ジャネット・リー・ケアリー著』が図書館の読書感想文お薦め本コーナーに置いてあったので、借りてきました。
昨晩、あまり眠れなかったので枕元で一気読み。
どのようなストーリーかと簡単に説明すると、
主人公のウィルは妹のウェニーと、工具店へ向かう途中トラックに轢かれ、ウェニーは死亡し、ウィルは一命を取り留めます。
ウィルは意識不明の間に臨死体験をします。兄妹は空を飛んでいて、妹は光の輝く方向へ飛んでいってしまいますが、ウィルは父と母のことを考えて思いとどまる。
目を覚まして妹の死を知り、両親は深く悲しみ、ウィルとまともに会話をしてくれません。妊娠している母親は情緒不安定に陥り、父親は家族と関わらず部屋に閉じこもったまま。
そこでウィルは神父さんから貰ったノートに、妹へ宛てた日記を綴ります。一方的な交換日記のようなものです。
その日記がそのまま、物語となっています。
子供にも大人にも、読みやすい内容です。
最愛の家族の死によって、遺された家族の心が再生されていく様子が上手に描かれていると思います。特に、最後の部分で主人公が心を開くシーンは、多くの人が感情移入して泣いてしまうのではないでしょうか。
私は泣けませんでした。
あまりにも、主人公の境遇が自分の境遇と重なっていたから。
著者の方は身近な人を亡くされた経験があるのでしょうか。
子供の、複雑な心理描写が見事だと思いました。
私も小学生のときに、3つ下の弟を事故で亡くしています。
ウィルの妹が兄の用事に勝手についてきて事故に遭ったように、私の弟も私の真似をして、危険な遊び場所へ行ったために亡くなりました。
私はウィルのように臨死体験はしていないけど、光の方向へ振り向きもせず飛んでいってしまった妹の身勝手さを憎むように、
家族を悲しみの淵へ陥らせた弟は親不孝者だと思いました。
事故から20年近く経った現在でも、そう考えています。
盆やお正月へお墓参りに行ったり、月命日にも花を手向けに行くときがありますが、私は未だにお墓の前で小さな憎悪を募らせています。
当時は“人の死”というニュアンスをイマイチ理解できていなかったこともあって、弟がいなくなって悲しい、事故に遭った弟がかわいそうだ、と思う気持ちはすぐに感じられませんでした。
物語のウィルは11歳ということもあって、この“人の死”についてはかなり受け入れている様子ですが、私の場合は徐々にといった感じでした。
例えば無差別な殺人で、死人があちこちに転がっている様子を“地獄絵図のようだ”と表現しますが、
私にとって地獄とは身近な人の死に立ち会ってこそ、存在するものだと思う。少なくとも自身より先に子供の死を体験した親たちはその地獄を見てきている。
だから、理由はどうあれ親より先に逝った子供は親不孝者だと考える。
自殺となればなおさらだ。
人は死んでしまえば“無”になるが、遺された者の心には生き続ける。
悲劇は偶然が重なって起きるもの。
あの時、誰が、どうしていたら、死なずにすんだだろう。
あの人が生きていたら、何が変わっていただろう。
取り戻せない過去だと分かっていても、想像しない日などあるものか。
『あの空をおぼえてる』では主人公のウィルが、妹の死に関して、自分の責任を重く感じている。妹に憤りながら、守ってやれなかった自分にも腹を立てている。
そして死ぬのは自分だったらよかったのではないか、と誰にも言えず妹への日記にも書けず、煩悶している。
↑の文章の最後の2行は物語中にははっきりと記されていません。
同じような体験をした私だから、そう感じるだけかもしれません。
それでも、この想像は間違っていないと思います。
もし子供を亡くした親がいたら、兄弟にも目を向けてほしいです。
自分の感情を保つのが精一杯でも、亡くなってしまった子供と変わりない愛情を残った子供たちへも注いでやってほしいです。
それこそが家族再生への道なのだと信じてやみません。
この本を読んで、ウィルと出会って、心強い気持ちになりました。
なでれのポーズは進化しない
